善光寺参りと小林一茶のゆかりの地を尋ねて

善光寺参り
善光寺は、1400年の歴史を持つ日本を代表するお寺です。
ご本尊は「一光三尊阿弥陀如来」で、インド・朝鮮半島百済を経て、欽明天皇13年(552年)に日本に渡られ、この仏さまを本田善光さんが信州の地に安置されました。本田善光さんがお始めになった(ご開山)お寺であることから、「善光さんのお寺(善光寺)」と呼ぶようになりました。
国宝に指定されている現在の本堂は、江戸時代の宝永4年(1707年)に5年の歳月を経て完成したもので、300年の歴史を誇ります。木造建築としては、奈良・東大寺大仏殿、京都・三十三間堂とともに日本を代表する規模で、撞木造りという独特な建築様式が用いられています。
生身の如来といわれる善光寺如来は、生きている人と同じようにあたたかい体をしておられ、おすがりする者はすべて極楽往生を約束してくださる仏さまといわれています。
善光寺さんが全国に知れられるようになるのは平安時代の末期。当時、有名なお寺は決まって女人禁制でした。ところが、善光寺は最初から庶民の寺で女性も救う寺として知られていました。身分の差も男女の区別もなく、お参りすれば誰でも極楽往生できると信じられ、全国から老若男女が訪れるようになったのです。
年間五百万とも七百万ともいわれる参拝者のある善光寺。平成10年には、善光寺がある信州長野市で冬季オリンピックが開催され、世界中から集まった人々が善光寺の参道を埋め尽くしました。
創建から一宗一派にこだわることなく常に全ての信徒を受け入れてきた善光寺。そして、ご本尊一光三尊如来はいつも全ての人に救いや希望をもたらして下さり、参拝者が途絶えることはありません。


仁王門の近くの駐車場に停め、歩いて向かいます。





途中に歴史のあるホテルやお土産屋さんが色々立ち並んでいます。



道の途中には多くの宿坊が並んでいました。いつか私もそこに泊まりたいなぁと思いました。


大本願に立ち寄ってから仁王門を通ります。



仲見世通りではお土産屋さんやおやきや蕎麦、信州みそのソフトやおむすびなど名物を提供する店が沢山並んでました。


おやきと味噌ソフト美味しかったです。

山門を抜けると善光寺本堂があります。



山門の上から本堂や仲見世通りを見ることができます。多くの人がお参りにきていました。

本堂ではお戒壇めぐり
善光寺のご本尊が安置されている瑠璃檀と三卿の間の床下に部屋があり、その部屋をロの字型にめぐる暗黒の回廊がある。この回廊をめぐるのが、善光寺のお戒壇めぐりです。善光寺本堂の中、御三卿像の右手にお戒壇の入口があります。ここから階段を下り、4,5歩進むとあたりは漆黒の闇の回廊。右手を腰の高さに上げ、右側の板壁をさわりながら一歩ずつすり足で進んで行きます。途中瑠璃壇(るりだん)の真下に『極楽の鍵前』といわれる鍵があります。この鍵に触れるとご本尊と結縁ができて極楽へ行けると伝えられています。時間にして5分足らずのお戒壇めぐりですが、闇の持つ魔力なのか、この時間が不思議と長く感じられます。

この日は平日でしたが多くの人が並んでいました。中は真っ暗で何も見えず、前の人に軽く触れながら歩くだけでした。途中ででこぼこしたところがあり、これかな?と思ったのですがどれが状前かはっきりわからず、わたしは極楽浄土には行けないかもしれません(泣)
お寺カフェ






ちょっとわかりづらかったのですが何とかたどり着きました。箸袋に書いている文字は実際にお坊さんが書いている文字で、意味があります、直感で選んでくださいとのことで慈悲という字を選びました。





このカフェから見える景色は善光寺が見えるとても贅沢な景色でした、食事はおかゆしかないのですがとてもしっかりと味がありとても美味しかったです。外は人通りが多くにぎやかですが、カフェの中は静かで心地よい時間が流れていきました。
その他にも色々な色々なお寺や関連施設があり、なんと私たちは4時間近く散策してました。とても面白かったです。
小林一茶のゆかりの地を尋ねて
「小林一茶(こばやしいっさ)」は、松尾芭蕉や与謝野蕪村と並ぶ、「江戸三大俳人」として有名です。『雀の子そこのけそこのけお馬が通る』や『やせ蛙負けるな一茶是にあり』などが、特に有名ですね。3人の中でも時代的に後期に活躍した人で、俳句の難しさを取っ払いモダン口調で親しみやすい「一茶調」という独自の排風を確立しました。継母と折り合いが悪く15歳で江戸へ丁稚奉公に出されます。そこで俳句をしたためますが、父親が亡くなったあと遺産相続争いが長く続きます。結婚も50歳過ぎてからで、子供も妻も亡くなっててしまい、最後は持病の悪化や家が火事になり仮住まいの納屋の中で最後をむかえます。寂しい晩年を過ごされたのですね。








小林一茶のゆかりの地を巡ってきましたが、一茶の生涯に触れて寂しい気持ちになりました。