小諸城、海野宿、上田城観光と信州そば
懐古園から小諸城と信州そば
平安末期、源義仲の挙兵に従った武将のひとり小室光兼が後に源頼朝に仕え、この地に宇頭坂城を築いたのが小諸城の起源とされる。その後南北朝時代に小室氏は衰退し、大井光忠が1487年宇頭城跡を整備し鍋蓋城を築き、その子が出城の乙女坂城を築いた。1543年武田信玄がこれを攻略し、山本勘助らに命じて鍋蓋城・乙女坂城を取り込んで拡張整備したと伝わる。豊臣政権成立後、1590年仙石久秀が城主となり礎石建物、瓦、石垣で構成された近代城郭に改修した。城は城下町より低い場所に城郭があるため「穴城」ともいわれる。天守台は織豊期の様相を残す初期の算木積が用いられ、信濃における最も古い石垣と位置づけられている。(日本百名城ガイドより)
明治4年(1871年)の廃藩置県で廃城となった小諸城は、その後、小諸藩の元藩士らによって明治政府から買い戻され、大正15年(1926年)には、明治神宮の森や日比谷公園等の植栽設計も手掛けた本多静六により、小諸城址懐古園として近代的な公園に生まれ変わりました。日本さくら名所100選、日本の歴史公園100選にも選定されています。
懐古園内や周辺エリアでは、四季折々の美しい情景のなかに小諸城の面影を堪能できるばかりでなく、美術館や記念館、動物園や遊園地もお楽しみいただけます。(懐古園HPより)




懐古園は大きな公園で色々な施設が入ってました。藤村記念館では丁度イベントがあり歌や俳句のお披露目があり楽しかったです。この日も猛暑でしたがゆっくり散策しました。





だし蕎麦初めて食べましたが美味しかったです。暑い日は冷たい麺が美味しいですね。
海野宿


この日もとにかく暑かったです。街並みは昔の趣を残していましたが、観光客も少なく落ち着いて見ることができました。ここは善光寺参りの中継場所だったようで、ほかの宿場町は取り壊されているところが多いが、ここは建物が比較的に残っていたと地元の方が教えてくださいました。
上田城
上田城は天正11年(1583)、真田昌幸によって築かれた平城で、上田盆地のほぼ中央に位置しています。
堀と土塁で囲まれ、虎口(出入口)に石垣を使った簡素な城ですが、第一次、第二次上田合戦で徳川の大軍を撃退し、天下にその名を轟かせました。数ある城郭のなかでも、2度もの実戦経験をもち、輝かしい戦果をあげた城は、全国でも他に例がありません。
しかし、上田城は関ヶ原の合戦後に破却され、藩主であった真田信之公も松代へ移封となりました。その後、小諸から入封した仙石氏により城は再興され、近世後半には松平氏の居城となります。
かつて本丸には櫓門2基、櫓7基がありましたが、現在は櫓3基と櫓門1基を見ることができます。また、園内には石垣や土塁が到る所に残されています。市民や観光客に愛される憩いの公園
現在は公園として整備されており、江戸時代から現存する西櫓(県宝)のほか、昭和24年(1949)に復元された南櫓と北櫓、平成6年(1994)に復元された東虎口櫓門、土塁や石垣など、随所に城の面影を見ることができます。
また千本桜や新緑、紅葉など、美しい四季の移ろいを感じることができ、戦国ロマン溢れる園内で歴史探訪と自然散策を楽しむことができます。(うえだトリップナビさまより)



個の天守閣に登りました。眺めはすごく良いです。


真田家のゆかりの神社や井戸などが残っており見ごたえがありました。
本日のニャンズ

