東北春車中泊の旅 DAY17 世界遺産中尊寺・毛越寺など 足痛いです

時間制限のない旅

奥州は見るところがいっぱいあって、14000歩以上歩いて体力の限界が近いくらい歩きました。楽しかったけどまじ、足が痛いです。

奥州の世界遺産と博物館など行ってきた

柳の御所遺跡と平泉世界遺産ガイダンスセンター

平泉世界遺産ガイダンスセンターは、世界遺産をはじめとする「平泉の文化遺産」の価値を広く世界中に伝え、人類共通の財産として後世へ継承するための拠点となる施設です。
「平泉の文化遺産」の構成資産及び関連する遺跡の周遊の出発点として、その価値や特徴を分かりやすく紹介してます。中は新しくとても広い施設でした。世界遺産認定になるまでの歴史などわかりやすく展示されていました。

奥州藤原氏の祖・清衡が豊田館(奥州市)から平泉に移り居館を構えた所で、三代秀衡が鎮守府将軍・陸奥守に任ぜられたことで、政庁(平泉館)として整備されました。
『吾妻鏡』によると、1189年(文治5年)、源頼朝が奥州へ攻め入ると、8月11日、四代泰衡は平泉館を焼き払って逃亡しました。
平泉館はあっという間に灰燼に帰してしまったということです。
「平泉~仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群~」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されています。

広い空間に史跡がわかりやすく配置されはるか昔に想いを馳せることができます。少し肌寒かったのですが梅と桜が咲いていました。癒されますね。

中尊寺と金色堂

中尊寺は嘉祥3年(850)、比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁によって開かれました。
その後、12世紀のはじめに奥州藤原氏初代清衡公によって大規模な堂塔造営が行われました。
清衡公の中尊寺建立の趣旨は、11世紀後半に東北地方で続いた戦乱(前九年・後三年合戦)で亡くなった生きとし生けるものの霊を敵味方の別なく慰め、「みちのく」といわれ辺境とされた東北地方に、仏国土(仏の教えによる平和な理想社会)を建設する、というものでした。それは戦乱で父や妻子を失い、骨肉の争いを余儀なくされた清衡公の非戦の決意でもありました。
中尊寺創建当初の姿を今に伝える金色堂は天治元年(1124)に上棟されました。堂の内外に金箔を押してある「皆金色」の阿弥陀堂です。まず堂内の装飾に目を奪われます。4本の巻柱や須弥壇(仏壇)、長押にいたるまで、白く光る夜光貝の細工(螺鈿)、透かし彫りの金具・漆の蒔絵と、平安時代後期の工芸技術を結集して荘厳されており、堂全体があたかも一つの美術工芸品の感がします。

駐車場から中尊寺に向かう初めのところです。月見坂ですが傾斜が結構きついです。

少し傾斜のきつい道をひたすら歩きます。

途中薬師寺や地蔵堂など歴史的建造物や景色を楽しみながら進むとやっと本堂に到着します。

本堂は表門が工事中だったので裏門から入りました。

金色堂は黄金の輝きでしっかりと守られていました。

帰る途中で「かんざん亭」で「寺ミスとブレンドコーヒー」と「梅ソーダー」飲んでのんびりしました。疲れた体に沁みました。美味しかったです。

毛越寺と達谷窟

毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡(もとひら)から三代秀衡(ひでひら)の時代に多くの伽藍が造営されました。往時には堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれています。奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失したが、現在大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けています。平成元年、平安様式の新本堂が建立されました。

庭園がとても素敵ですね。ここに色々と建っていたと思うとその当時の建物を見てみたいと思いました。

坂上田村麻呂が征夷の記念に毘沙門天を祀った岩窟で1200年前に建立されています。懸崖造りの毘沙門堂は、火災のたびに建て直されてきました。平安時代造像の丈六不動明王像(県指定文化財)や北限といわれる「岩面大佛」(磨崖仏)も必見です。境内全域が史跡指定となっています。

顔面大佛は初めは良くわからなかったのですが、じっくり見ると顔がわかりました。

本日は、1400歩以上歩いたのでとても疲れました。でもしっかり観光できて面白かったです。

本日のランチ 

ランチは「夢乃風」さんで頂きました。平泉はお餅と蕎麦文化です。どちらもとっても美味しかったです。

本日のニャンズ

キキの悪い顔、可愛いですね。