長野県山ノ内観光2

時間制限のない旅

山内町散策と北志賀高原

山内町散策 湯田中温泉

文献に残る開湯は、1350年前(天智天皇の時代)、僧智由が発見し、この湯を「養遐齢(ようかれい)」と名づけました。※遐齢とは長命長寿のこと。したがってこの温泉は、長命長寿の湯であり、病を癒し、心を爽やかにして、健康で長生きできる霊験あらたかな温泉であるということです。 また、湯田中大湯には、初代陸軍軍医総監松本順(良順)による入浴法が記されています。

※僧智由は、大湯の東方に弥勒石仏を建立したとされています。
(僧智由は、佛教年表に666年に「唐朝僧智由携指南到日本」とありますが、湯田中との関連は正式にはわかりません)
(信州湯田中温泉観光協会公式サイトより)

本尊は聖観世音菩薩の立像で、故横江嘉純(東京・日展審査員)が製作。昭和34年に入仏供養がおこなわれた。境内には、横江氏による青銅製ブロン ズ仕上げでは、世界一といわれる25メートルにおよぶ、世界平和聖大観音が昭和39年に建立されている。昭和13年に銅版うちだしで、聖観音が建立され、 百尺観音とも呼ばれたが、第二次大戦で大仏も本尊と台座だけを残して昭和19年に応召されてしまった。これを惜しみ、地元と東京万人講を中心に再建され現 在にいたる。落慶開眼供養の導師には善光寺一条智光上人が勤められた。台座内には、西国三十三番札所観音を遷座している。(信州湯田中温泉観光協会公式サイトより)

湯田中の大湯を薬湯として、必ず衆生の病を治すようにと、この温泉の鎮護のために浴場大湯の東方に弥勒石仏を建立したと伝えられる。現在は金倉の 名所弥勒に現存しているが、地変によって埋没していたものを、大治五年(1130年)、大和国の僧末光が、地中から発見し再建したものであると口碑は伝え ている。弥勒さまのご利益は、疫病よけの神であり、火難・地震を鎮めてくれる神と信じられている(信州湯田中温泉観光協会公式サイトより)

史跡巡りを駅から徒歩で歩いて巡ってきました。朝10時頃から12時頃まで2時間歩きっぱなしで疲れました。坂が多く階段など頑張って歩きましたが足が痛くなりました。途中静岡から来ていたご夫婦と知り合いになりお話できてほっこりしました。

北志賀高原など周囲の散策

山の中にあり杉の大木が背が高くすごく大きかったです。

ロープウエイで中腹まであがり、カフェでソーダーを飲んで一息しました。やっぱり山の上は寒かったです。

ロープウエイは上りも下りも空いていてゆっくり外を見ることができました。

滝が2種類ありましたがとてもきれいな水でした。

本日のランチ

有名なお蕎麦屋さんで、有名人もたくさん来ているようでのど越しも良くすごく美味しかったです。「はやそば」という地元の郷土料理を頂いたのですが、とても美味しかったです。また機会があれば食べたいです。

今日は色々歩いて楽しかったですが、本当に疲れました。でもお蕎麦美味しかったです。

本日のニャンズ

うっとりした顔で覗いているキキ。眠いのかな?

ココが大好きでしつこくして怒られているキキ。ちょっとしょんぼりしています。