東北春 車中泊の旅 DAY26 悲しすぎる震災の遺構

時間制限のない旅

忘れてはいけない震災の教えと復興

高田松原復興記念公園

東日本大震災津波では、県内各地で深刻な被害が発生しました。
津波は、1896年(明治29年)、1933年(昭和8年)の三陸地震津波、1960年(昭和35年)のチリ地震津波を凌ぐ大きなもので、特に沿岸地域における人的、物的被害は甚大なものとなりました。
県内の人的被害は、死者4,672人、行方不明者1,122人、合計5,794人にも及んでいます。
家屋被害は、全壊・半壊を併せて26,077棟にのぼり、そのほとんどが津波による被害となっています。

※ 死者数、行方不明者数、家屋倒壊数はいずれも平成29年2月28日現在のもの

高田松原津波復興祈念公園は、東日本大震災による犠牲者への追悼と鎮魂、「震災の記憶」と
「教訓の後世への伝承」とともに、国内外に向けて復興に対する強い意志を発信するため、
国・岩手県・陸前高田市が連携して整備した、復興の象徴となる公園です。

ここには全部で5つの震災遺構がありました。

道の駅高田松原には数多くの遺構を見ることができます。裏には「海をのぞむ場」としてとても広い公園が整備されていました。
津波で流出して壊滅的な被害を受けた松林の4万本植樹して育てているそうです。

かつて高田松原にあった約7万本の松林のなかで、東日本大震災の津波に耐えて奇跡的に残った一本の松があります。
その松は大津波に耐えて残った姿から「奇跡の一本松」と呼ばれ、復興への「希望の象徴」となりました。
樹齢は173年。高さは27.5mもある奇跡の一本松は、残念ながら震災の翌年の2012年5月に枯死が確認されましたが、復興のシンボルとして後世に受け継ぐために保存整備を行い、現在は「モニュメント」として昔と同じ場所に立っています。

見上げるととても背が高く、数々の震災を経験していたのだなぁと感慨深いものがあります。

以前あった「旧道の駅高田松原タピック45」津波の威力を伝える遺構となっています。

このユースホステルは震災の日は営業をやっていなかったため人的被害はなかったようです。でも建物の崩れ方から津波の威力がわかりますね。

津波の高さを伝える遺構。建物の5階の途中まで津波が到達したそうですが、4階まではパネルや窓がすべて無くなっており津波の高さが一目でわかる遺構となっていました。

防災教育の重要性を伝える遺構。震災の日、体育館で全校生徒揃って卒業式の練習をしていたそうで、地震直後日ごろから避難訓練をしていたとのことで全員が高台に逃げて無事だったようです。その数分後に校舎は津波に飲み込まれたようで防災訓練の重要性を教えてくれる貴重な遺構でした。

奇跡の一本松から気仙沼までBRT

バスの絵柄が可愛いです。

昔の鉄道路線を道路にしてバスが走っています。

右に大船渡線の電車、ほダリにBRTのバスが走っています。不思議ですね。

昔の鉄道で利用していたトンネルを今はバスが走ってます、不思議ですね。とても変わったバスドライブでした。

本日のニャンズ

JJのPCの周りで遊ぶニャンズ。

ご飯係はJJです。大人しく待ってます。