電車で市内観光二日目
旧城山国民学校校舎



旧城山国民学校校舎は、爆心地の西約500mに位置しています。被爆当時は鉄筋コンクリート造3階建の校舎が2棟並んでいましたが、原爆により南側・北側の両校舎の内部は破壊され、北側校舎の2・3階は全焼しました。経年変化により、昭和50年代に校舎の大部分は解体されましたが、北側校舎のうち階段棟の部分が現存しています。校舎では、内装を設置するために骨組みのコンクリートに埋め込まれていた木レンガが焼損したまま残っており、高熱火災による被害を示すものとして特に知られています。
当時、学校にいた教職員は31人のうち28人が亡くなり、およそ1500人の児童のうち1400人余りが家庭で亡くなったと推測されています。このほか疎開して学校を使用していた三菱重工業株式会社長崎兵器製作所の所員と動員学徒などの約120人中100人余りの方が亡くなりました。その歴史など展示されており亡くなった方の冥福を祈らずにはおられません。
電車で日本二六聖人記念館と記念聖堂へ





どちらも建物の装飾がきれいです。この教会はガウディ研究の第一人者であった早稲田大学教授今井兼次氏によって設計され完成されました。京都から歩かされて着いた先でこの地が殉教しましたが、その顔は満足そうな感じだったそうです。一番若い子で11歳だったそうで最後の言葉は「僕の十字架はどこにありますか?」だったそうです。どんなに迫害されてもキリスト教を改宗しなかったことを考えると感慨深いです。
一本柱鳥居


爆風で損壊した一本柱鳥居。この急な階段を上ると着きます。でも私が一番驚いたのは、急な斜面に立ち並ぶ民家の数々です。狭い土地を友好活用している姿に驚かされました。さすが長崎ですね。
出島とランタン祭り



日本が海外と交流を閉ざしていた鎖国時代。長崎が西欧に開かれた唯一の窓口でした。岬の突端にある扇形をした人口の島。この小さな島から西欧の新しい知識と文化が日本中に広まっていったのです。その復元された出島は観光のスポットとなっていました。復元された町並みは昔の江戸時代の生活がわかるようになっていて楽しかったっです。



豚の顔は本物でした。こわ~~~!!


ランタンがすごくきれいでした。でも人の数もすごくて、食べ歩きしたくても大行列となっていて買うことができず残念でした。
長崎でキャンピングカーどこ停める?


長崎はキャンピングカーを停める場所が少なく本当に見つけるのが大変でした。また見つけても駐車料金が高く30分600円など大型のバス料金並みのところが多く探すのを苦労しましたが見つけました。市営松ヶ枝駐車場です。駐車場入口は屋根がありますが、高さ3.5Mなので我が家のキャンピングカーは3.2Mなので余裕で通れます。ココに車を置いて、大浦天主堂やグラバー亭、軍艦島クルーズなどすぐ近くなので行くことができ、その他はバスや電車を利用して回ると安心して観光することができます。ただし宿泊はできません。残念です。電車は一日券600円なので安いです。あと乗り換えは30分以内であれば無料です。安い!!
本日の会計
品 名 | 代 金(円) | 雑 記 |
高速代 | 1030 | |
駐車代 | 2420 | 朝10時~20時頃まで |
電車代 | 1680 | 一日券買い忘れました。残念! |
外食 | 5215 | 中華街で食べたちゃんぽん。皿うどん美味しかったです |
入場料 | 1040 | 出島代です |
計 | 11385 |
本日のニャンズ


今日も元気です。