車中泊の旅 キリシタンの里「外海」(そとめ)観光 DAY69

時間制限のない旅

長崎外海(そとめ)キリシタンの里堪能しました

ド・ロ神父の功績がすばらしい

長崎の人々に捧げた生涯・ド・ロ神父
貴族の家に生まれたマルク・マリー・ド・ロ(1840~1914)は、開国後の明治時代に日本で生活した外国人の一人で、1868年にパリ外国宣教会の神父として来日し、1878年に長崎の中心部から約30kmほど離れた外海(そとめ)地区にある出津(しつ)教会に赴きました。

外海地区には、キリスト教の信者が多く暮らしていました。この地域はとても貧しく、孤児や捨子、海難事故や病気で働き手を失った女性が多くいることにド・ロ神父は心を痛めました。そこで、私財を投じて、孤児院や救助院を設立しました。救助院とは女性のための授産施設で、ド・ロ神父の技術指導によって、織物、素麺、マカロニやパン等を製造し、長崎の中心部に暮らすヨーロッパ人に販売して収入を得ました。ド・ロ神父は、フランスで身につけた農業、印刷、医療、土木、建築、工業、養蚕業など様々な技術を惜しみなく伝えました。地元の人々から「ド・ロさま」と呼ばれて親しまれ、外海の人々に生涯を捧げました。

掲載日:2021年10月29
Ambassade du Japon en France

ド・ロ神父は貴族だったそうですが、フランスにいる家族に不幸があっても帰らなかったそうです。

出津教会堂と大野教会堂

長い長い階段を上がると出津教会堂にでました。やっとたどり着いた感じです。でも建物は美しく眺めも良かったので癒されました。

駐車場からまたもや長い階段を上がるとこじんまりとした可愛い大野教会堂につきました。この教会の壁はド・ロ神父が造らせた壁でド・ロ壁と呼ばれているそうです。外海(そとめ)全体がこの工法で石垣や壁など作られているそうです。

ド・ロ神父記念館と旧出津助護助

ド・ロ神父は、パリ外国宣教会の神父で、1868年(慶応4)28歳で来日し、大浦天主堂で布教活動に携わった後、1879年(明治12)に外海地方の主任司祭となり、1882年(明治15)にはド・ロ神父自ら設計・施工を行った出津教会が完成しました。記念館の建物もド・ロ神父の手による1885年(明治18)建設の旧出津救助院の施設の一つである鰯網工場で、隣接する授産場、マカロニ工場とともに国指定重要文化財となっています。

ここでは受付のシスターが中を案内していただき、世界に3台しかないオルガンを弾いて頂きました。その音色は深みがありとても素晴らしかったです。わかりやすく案内してくださりとても勉強になりました。

本日のランチ Cafe OZIMOC

大野教会堂駐車場の階段のそばに、自然の中に佇む素敵なカフェを発見しました。見晴らしも良く雰囲気も抜群でとてもおしゃれなカフェでした。ドライカレーとグラタン注文しましたがどちらも美味しかったです。

海の向こうに見えるのが池島です。軍艦島と同じ炭鉱の島で、今回は時間が無くて行けませんでしたが次回は必ず訪問したいと思います。

本日の会計

品 名代 金(円)雑 記
食品822
外食5550ドライカレー美味しかったです
ビール950
入場料1420
8742

本日のニャンズ

静かにご飯を催促するココとキキ。可愛いです。